藤川日記


―担任団タイ珍道中―


[ 謎 の 旅 集 団 ・ 民 芸 が 行 く  3 ]



  <危険地帯パッポン通りへ>

 伊勢丹のエスカレーターを下って1階に着いたところで、バーツが残り少なくなって いることに気づいた。今から行こうとするパッポン通りはアジア最大の歓楽街なので、 現金を持っていないことには話にならない。これは!という店があったら、死を覚悟し て乗り込む所存であるから、少々の現金は必要だ。もし、カード何ぞで払おうものなら 、日本に帰って天文学的な金額の請求書が届いてびっくり仰天、ということになりかね ない。ここは両替をせねばと思って伊勢丹内にある銀行に並んでいると、私の前の老夫 婦が出した札束を見て驚いた。軽く20万円はあった。20万円は、タイ人の感覚では 200万円に相当する。そんなに両替して一体何を買おうというのか?だいたい私がい くら両替するつもりか知っているのか。5000円だよ。前の人がこれでは私の立場が ないではないか。さらに悪いことに財布の中には1万円札しかない。私は「えーっと。 5000円分だけバーツに替えて下さい」と恥じらいの表情を浮かべて窓口に1万円札 をそっと差し出したが、お姉さんは「そんな(せこい)両替はできませんね」といって 1万円札を突き返してきた。がーん、どうしようと途方に暮れていたら、「あっやっぱ り両替?おれも両替しよう」とミスターがコジコジと共にやって来た。おお!これはい いところに来て下さいました。ところでいくら両替するおつもりで、と尋ねたら、「3 000円」だって。さすが民芸の一員だ。結局、ミスターから3000円を受け取り、 1万円札を両替して1000バーツをミスターに渡し、私は2300バーツを財布にし まったのだった。

 3人は伊勢丹を出てバンコクの街を歩き始めた。私がパッポン通りのことを話すと、 ミスターとコジコジはふんふんと余り興味なさそうに聞いていたが、最後は「じゃあ一 緒に行きましょう」ということになった。実は二人とも興味有り有りか?
 伊勢丹の周りは高級ショッピング街なのだろう、大きなビルが建ち並んでいた。街は 活気にあふれ多くの人々が行き交う。そのビル群の一つに「そごう」があった。おいお い、こんな所にまで手を広げているから潰れてしまうんじゃないの、と苦笑しながら眺 めていると、そごうの入り口にある小広場で民族衣装を着て踊っている一団が見えた。 この小広場は仏教徒のためのお祈りの場所で、車の騒音にかき消されながらも祈りの音 楽と読経が流れていて、多くの人が祈りを捧げている。なぜにデパートの一角のこんな うるさい所で祈っているのだろうか。でもこれもまたバンコクらしいといえばバンコク らしい。

 しばらく歩いたが、ガイドブックで見る限り目指すパッポン通りはまだまだ先だ。気 温は35℃を超え汗が噴き出てきたのでタクシーに乗ることにした。バンコクのタクシ ーは料金をふっかけてくるから乗るときにしっかり交渉せよ、とガイドブックにあった ので「100バーツ(300円。これでも多少高い)」でパッポン通りへ向かった。乗 ってしばらくするとタクシーの運転手が「どこへ行くのか」と聞いてきたので、「有馬 温泉(パッポン通りの隣の通りにある日本人旅行者向けマッサージ&サウナの店)」と 適当に答えた。すると運転手は「有馬温泉よくない。私いい店知ってる。『マドンナ』 いい子いっぱいいる」と言ってマドンナというタイに出張で来たサラリーマンが照れ笑 いを浮かべて待ち合い室にうじょうじょいそうな店のパンフレットを見せてきた。結局 彼は我々が降りるまでずっと「マドンナはNO.1よ」と言っていた。

 渋滞の道をとろとろと進んでスリウォン通りにようやく到着。ここを左に曲がるとい よいよパッポン通りだ。期待に胸が高まる。しかし、パッポン通りで我々が目にしたの は組み立て中の屋台の群れであった。我々がパッポン通りに着いたのは午後4時。いく らパッポン通りがアジア最大の歓楽街とはいえ、まだ大人の時間には早すぎたのだ。そ れにしても数時間後の開店を待って何とも多くの屋台が通り狭しと並んでいることか。 日が落ちたころ、通りの両側のネオンをきらめかせて客を呼び込む怪しげな店にはさま れて、この無数の屋台たちがうごめくところを想像してみたが、あまりに強い日差しの せいで上手くいかなかった。

 我々のようなピントはずれの時間に来る観光客を目当てにそれこそ怪しい店の呼び込 みが声をかけてくるが、軽くあしらいパッポン通り及びそのまわりのいくつかの通りを ぐいぐい歩いた。おびただしい店、そのすべてが怪しげだ。レストラン、居酒屋、ゴー ゴーバー、マッサージ店、中には日本語の店名(例えば「築地○×」)が書かれたのれ んを掲げている店もあるが、それもまた怪しい。バンコクは混沌とした街だ、と前に書 いたが、ここいらへん一帯は混沌の極みである。夜になればその混沌さはより一層増す のであろうが、今回のハードスケジュールでは残念ながら夜にこの場所を訪れることは できなかった。

 裏通りには店に出勤するお姉さんやお兄さんの胃袋を満たすための屋台が出ていて、 皆美味そうに食べている。タイにおいて屋台とは、庶民の一般的な食事処で、サラリー マンやOLも気軽に利用している。私はタイにいる間中是非屋台で食べたいと思ってい たが結局断念した。どう考えてもおなかをこわしそうだからである。だって、道にブロ ックを並べて火を焚いて調理しているし、食器はどこでどのように洗っているかは誰に もわからないから。もし私が学生かぷーたろーで腹をこわしてホテルのベットで1週間 寝ていても平気、という情況であれば間違いなく食べていたであろうが。

 適当にうろうろしていたら大きな通りに出た。その通りには露天商が並んでいて、衣 類や時計のバッタ物を売っていた。ミスターが「にせものとわかっていても面白いから 買おうかな」と言って、時計を物色し始めた。店員は「ロレックス本物本物」と盛んに 売り込もうとするが、2000円のロレックスなんかこの世にあるわけない。さらに「 プラダ、プラダ」と言って差し出した時計の文字盤をよく見ると「PANDA」と書か れてあるではないか。おお!これはみうらじゅんあたりが喜びそうなモノだな。結局我 々3人は、500バーツ(1500円)と言っていたTシャツを100バーツに値切っ て1枚づつ買ったのだった。

 そんなこんなしているうちに、戻る時間になってしまった。残念だが仕方がない。我 々は伊勢丹を目指して歩き始めたが、いきなりうーむと立ち止まってしまった。タイの 道はいつでもどこでも渋滞なのだが、歩行者として大変困ったことに、横断歩道がほと んどない。どうやって道の向こう側に渡るかというと、車がビュンビュン行き交う道を 一瞬のスキを見つけて車間をぬうように渡るしかないのだ。片側3車線の道でもそうす るしかない。みなさんは横断歩道がない午後4時頃の甲州街道を渡れますか?でもタイ 人は男も女も平気で渡っている。呆然と立ち尽くす我々。しかしその時、見知らぬタイ 人のおじさんがやって来て「タイの道はこうやって渡るのだよ」と一緒に渡ってくれた のだ。何と親切。さらに我々が伊勢丹に行くのだと言うと「こっちだこっち」と途中ま で案内してくれるではないか。我々は「いやー、タイの人は親切ですねえ」「タイはい い国だねえ」と口々にタイを誉め、親切なおじさんと手を振って別れた。

 おじさんと別れてからしばらく歩いたが、どうも風景が違う。パッポン通りに来ると きは途中からタクシーを使ったからはっきりとは覚えていないが、それにしても違う。 持っている地図は詳しいものではないので、自分たちのいる場所がよくわからなくなっ た。うーむ困ったと思案していると、またも親切なタイのおじさんその2が近寄って来 て「どうした」と聞いてきた。我々は伊勢丹に行きたいんだと言うと、おじさんその2 は「こっちだこっち」と言いながら途中まで道案内をしてくれた。我々は「いやー、助 かったね」「タイの人はやはり親切ですね」「さっきのおじさんも何か勘違いしただけ だよね」と言って親切なおじさんその2と手を振って別れた。

 しかし、おじさんその2と別れてからしばらく歩いても伊勢丹のビルが見える気配が 全くない。おじさんその2も間違った道を教えてくれたようだ。我々が得た教訓『タイ 人は親切だが自信たっぷりに間違える』。結局タクシーをつかまえ(最初からそうすれ ばよかった)、伊勢丹へと戻った。このタクシーの運転手もまた行きと同じようにかわ いい女の子がいる店をしきりに勧めてきた。コジコジが運転手に「タイの女の子はとて もかわいくて大好き」などとしゃべりまくってあしらったが、日本人相手のその手の店 がいかにたくさんあるかがよくわかった。

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  <タイ古典舞踊で夕食を>

 やっとのことで伊勢丹に戻ることができ、6時過ぎに6人が再集合。モトコさま・み のわっち・イクチンの3人は暑さに負けて外に出ず伊勢丹の中でずっと買い物をしてい たとのこと。イクチンはまがい物のスポーツシャツを買っていた。伊勢丹でまがい物を 売るなよな。

 迎えの車が来て、田口・勝股コンビを途中で拾ってレストランへ。今晩はタイ古典舞 踊を見ながらの夕食である。一度に500人は食事できるであろう大きなレストランへ 入る。我々が一番乗りのようで店内はガラガラ。しばらくしてもほとんど客は入って来 ず、このままではすごく気まずいなあと思っていると、30分ほど後にぞくぞくと団体 さん(日本人多し)が入場してきて、あっと言う間に超満員。みんなタイカレーセット を食べビールなど飲みながら開演を待つ。開演前は民族音楽隊が各国の音楽を奏でてい たが、何故か「好き好き好き好き好きっ好き、一休さん」が演奏されていた。やはり仏 教の国だから坊さんのテーマソングを演奏していたのか?

 その後、店内が薄暗くなりタイ古典舞踊が始まった。お面をかぶった男ときれいに化 粧をした女が登場し民族音楽のリズムでストーリーに沿って踊る。私が見た限りではス トーリーはざっとこんな内容だと思う。ある国の王がある女に一目ぼれし追いかける( ストーカーか?)。女は魚に変身し川へ逃げるが執念深い王は川の中まで追いかけてい きついに捕まえる。捕まった女は観念し結婚する。数年たって王は敵国を攻めるが上手 くいかず窮地に立たされる。しかし、王妃の活躍で見事勝利を得、めでたしめでたし。 いい女は国をも救う。一度狙ったら根性でものにしろ、といった教訓がこの話の根底に ある。ですよね?と隣のモトコさまに聞いたら(途中で英語での解説があった)「寝ち ゃっててわかんなかったわ」だって。うーん、気になるが多少違ってもどうということ もなかろう。見ていてみえをきるところや、動きなど歌舞伎に似ているなと思った。モ トコさまは寝ながらもエイサーに似ていると言っていたけど。

 ディナーショーが終わり、きれいな踊り子さんに別れを告げてホテルに戻った時には もう9時半。朝6時30分にホテルを出てから15時間の観光にさすがの民芸も疲労の 色を隠せなかったが、私にはどうしても行かねばならないところがあった。それはマッ サージの店である。マッサージはタイに行くと決まった時から楽しみにしていたものの 一つであり、疲れたなどと言っている場合ではない。旅の疲れをとるために行くのだ。 私は一旦ホテルの部屋に戻り、シャワーを浴びてから再びホテルを出たのだった。

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  <魅惑のマッサージ>

 タイのマッサージは有名である。古代において中国のツボ療法がタイに伝わり、長い 年月を経てタイ独自のマッサージをつくりあげた。タイにおいてマッサージは重要な医 療であり、ツボ療法の解説図が壁に描かれている寺院も見かけた。近年マッサージを目 当てにタイを訪れる旅行者も増え、大きくとりあげている旅行雑誌もある。バンコクの あちこちにマッサージの店があり、日本語で値段の表示をしている店も多い。我々の泊 まったホテルの周りだけでも7、8軒のマッサージ店があり、店の前ではお姉様たちが 客引き合戦を展開している。

 一口にマッサージと言っても何種類ものパターンがある。主なものだけをあげれば、 体全体のタイ古式マッサージ、オイルマッサージ、足の裏マッサージ(フット・リフレ クソロジー)などがある。その中でも椅子に座って膝上までズボンをたくしあげるだけ でOKの足の裏マッサージが1番人気だ。パッポン通りの帰りに道に迷って散々歩いた 私がまずやってもらいたいのは、この足の裏マッサージである。

 私はホテルを出ると数十メートル先の「May Foot Massage」を目指 した。この店は昨晩いくつかのマッサージ店を下見して決めたのだが、イクチンも「う んあの店がいい」と言っていた。値段はホテル周辺はどこも1時間250バーツ(80 0円)で差がない。イクチンも私も上が白のポロシャツ、下が紺のジャージというこの 店のユニフォームが気に入ったのだ。

 「May Foot Massage」に着くと、すでにイクチンとモトコさまが椅 子に座って足をもまれていた。二人ともすでに恍惚の表情を浮かべ夢心地だ。私も遅れ てはならじとマッサージをお願いする。椅子に座ると、まずお湯で丁寧に足を洗ってく れる。おお!何と気持ちいい。こんなことは奥様にもやってもらったことがないぞ。洗 い終わると、足の裏を指と短い棒で丁寧にかつ強く押してくれる。体の各器官は足裏と 連結しており、押してくれたところに鋭い痛みを感じればそのツボと連結している体の どこかが悪いということになる。ときおり「ギャー」と大声をあげたくなるのを必死で こらえながら、1時間のマッサージを堪能した。終わった時には足がじーんとして、ほ かほかと暖かく何とも言えない良い気持ちになった。明日は「タイ古式マッサージ2時 間」をやってもらおうと心に誓って店を出た。

 ホテルに帰ったらすでに12時をまわっていた。今朝も早かったが明日はさらに早く 、何と5時20分起き!おいおい、もうちょっと遅くならないのかね。まあ明日はバン コクを離れてアユタヤに行くのでしょうがないか。しかし、私はまだ寝ずに、卒業式の 日に手紙を頂いた方々へエアメールを書いた。卒業式が終わってからもう20日が過ぎ た。早いものだ。どんどん歳をとるはずだ。手紙を書き終えてテレビをつけたらNHK のニュースをやっていた。春の甲子園の1回戦で神奈川の桐光学園が勝った。桐光学園 の監督は大学の同級生で、彼とは何度かマージャンをやった。1年の頃、まだマージャ ンを覚えたての私が見せ牌で「ロン」と言ったらすごくいやな顔をしてたなあ。と、く だらないことを思い出したら急に眠たくなってきた。 

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